松田隆智著 「謎の拳法を求めて」より
試合は武術を骨抜きにする
武術の本質は体が小さく力の弱い人でも、技によって体の大きくて力の強い人を倒すことができることにあり、またそのために武術は研究され、そして完成されたのである。それが現代では武術として有効でも、試合としては有効でないとの理由から、武術のすぐれた技が消えていくことさえある。(中略)
たとえば剣道の試合においては、ポイントとして審判が取り上げてくれるのは、面・胴・小手だけであり、実戦に有効な相手の足を斬り払う技や、肩先から袈裟懸けに切り込む技は反則である。(中略)
だいたい真剣勝負というものは、あくまでも制約もルールもなしに行うのが真剣勝負であり、たとえ一つでも制約があれば、けっして真剣勝負とはいえない。(中略)
結局、現在「試合」といっているのは試合ではなく、本当は間合・タイミング・闘志・感覚などを養成させたり、あるいは学んだ技をどのように使うかという練習の過程として行うべきものである。(中略)
危険な技こそが護身術としては有効な技が多く、危険という理由だけで有効な技を捨て去ることは、キバやツメをとられた猛獣のようなもので、すでに武術とはいえない。