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中国拳法に関する著書からの抜粋ですが、空手の修行に通じるものがあります。とても参考になるものですので、掲載させていただきました。
松田隆智著 新装増補版「謎の拳法を求めて」(日貿出版社)2015年5月2刷発行より
完成への道
拳法の練習は行き着くところ、
1 敵を必ず倒すことのできる威力を養成する。
2 敵に必ず命中させる技術を持つ。
の二つにあり、中国拳法では1の場合の威力のことを功(こう)といい、「拳技を練って功を練らざるは、すべて空なり」といって、技と功の両面から練習することを強調している。
たとえば、功があっても技がなければ、三歳の幼児に名刀を持たせているのと同じで、まったく敵を切り倒すことはできないし、またいかに百発百中の技術を持っていても、功がともわなければ按摩やマッサージと同じで、敵を倒せないばかりか、ただの力持ちに跳ね飛ばされてしまう。
功を養成するには、まず基礎練習を十分に行うことが、もっとも大切である。基礎練習はまず正しい姿勢で下肢を完成させることから始まり、家を建てる場合の土台に相当するものであり、立派な建物ほどしっかりとした土台が必要であるのと同じで、基礎鍛錬をおろそかにすると、小成をみることができても大成することはなく、高層建築と平屋建てほどの差ができる。
正しい姿勢と下肢の安定がある程度できるようになると、つぎに基本技の練習に入るが、これによって重心の安定、気・拳・体の一致、気・力の集中と移動などが自由自在に行えるようになるし、持てる力を完全に瞬時に発揮できるようになる。いかなる武術においても、初めに学ぶ基本技の正しい習得こそ、もっとも重要であり、基本技をおろそかに学んだり、あるいは基本技そのものが正しくないと、一生涯を修行に打ち込んでも無駄な努力に終わってしまう。(中略)
したがって拳法を修行する者は、型の反復練習を何度も繰り返すことが主になるが、まず初めに正しい姿勢で型を正確におぼえ、つぎに型にふくまれる技法の本当の意味を理解し、ついには型を超越して自分を表現できる段階まで、長期間の練習を行うことが必要である。(中略)
古今を通じて修行者の中には、型の持つ本当の意味を理解できないのに、つぎからつぎと新しい型をおぼえたがったり、あるいは独断の解釈によって、習得した型を自分勝手に変えてしまう人が多いが、このような人は苦練して型を考案した先人に対して、大きな冒涜行為を行っているのであり、さらには型を形式化して質を低下させてしまい、真実を知らぬ人たちから「拳法の型は舞踊と同じだ」と誤解されるようになる。(中略)
いくらすぐれた技を学んでも、頭で理解して順序をおぼえた段階では、ただの模倣にすぎず、メッキと同じですぐはがれてしまい、実戦ではまったく役に立たない。学んだ技は反復練習を重ねることによって、体の中までしみ込ませることが必要であり、実戦において相手の攻撃や動きに合わせて、ためらうことなく臨機応変に自由自在に、その場に応じてもっとも有効な技を、ほとんど無意識のうちに繰り出せるようになれるまで、練習をつまなければならない。(中略)